きつねうどんが好き

29歳。主婦。ひきこもりたい。

「リメンバー・ミー」という暴力的映画

ネタバレあり。

 

ピクサーとディズニーが苦手だ。

嫌いなわけじゃなくて、なんだか観るのに気力がいる。健気で明るくて幸せでキラキラで、キラキラしてない私にとっては眩しすぎる。それさえも「それがあなたよ!暗くても薄汚くてもそれでいいの!」と受け入れようとしてくれそうで「ほっといてくれ…」と引いてしまう。妄想でしかないけど。

そして年に数回、気分がとても良くてるんるんしているときに借りてきて、「めっちゃいい話や…」と目を潤ませるまでがセットになっている。

 

リメンバー・ミーも当然のようにスルーするつもりだった。ポスターだけでお腹いっぱい。

いかにも一癖あるけど根はいいやつなボロ着のガイコツ、夢追ってます!と顔に書いてあるようなギターを背負った純真そうな少年、あほっぽい犬、これでもかといわんばかりの細部までつくりこまれた背景。

 

冒頭の「リィィメンバァミィ〜〜\リーメンバーミー!/」という一曲もバイト先(映画館)で散々聞かされて食傷気味だったし。

それなのに、バイト帰りにポスターを観て、なぜかふと「今日観るか」と思って、気付いたらチケットを手にしていた。字幕版のほう。

あれだけ文句つけてたくせに、目を真っ赤にして鼻をぐすぐす言わせながら劇場を出た。

ピクサーしゅごい…。

 

 

同時上映のオラフの短編から泣きそうになった。アナ雪見たことないのに。

アナええ子や…エルサもええ子や…オラフ良かったね〜〜〜と胸が幸せで満たされてしまった。

この短編もバイト中に音漏れを散々聞いて、明るい歌声に「アナ雪まじうぜー」と思っていたんだけど。ほんとすみませんでした。

ただちょっと町の人たちがね。クリスマスは家族でそれぞれの家の伝統をするのが至高という価値観のようだったけど、オラフ捜しに駆り出されるわ、そのまま雪上パーティに参加させられるわ、しかも恒例行事になりそうな感じだったし、各家庭の伝統が消滅してしまうのでは…。

アナとエルサの無意識の王家パワーに逆らえず、内心帰りたいのを隠して笑顔で付き合う平民という嫌な想像をしてしまった。そんなことないんだろうけど。きっとみんな善人で、心からオラフを心配したりパーティを楽しんだりしてるんだろう。そうだといいな。

 

そして本編が始まり。

死者の日というメキシコの伝統行事が舞台。日本でいうお盆的なものだけど、お盆とは違ってとにかくカラフル。祭壇に故人の写真と好きだったものを並べ、マリーゴールドで華やかに飾りつけて、家族で思い出を語り合う日。

ポスターのオレンジ色の橋もこのマリーゴールドの花びらでできているようです。

 

死者たちは写真とマリーゴールドの道筋を頼りに家族のもとへ帰り、一年に一度の再開を果たす。生きている人たちからは見えないけれど、死者たちは家族の成長を喜び、語り合う家族を笑顔で見守る。

本当だったらいいなと思う反面、実際見えちゃったらびびりそう。生前のように着飾ってるとはいえガイコツだし。

 

死者の世界に迷い込んでしまったミゲルも、辺りが急に骸骨だらけになって悲鳴をあげる。死者側もそれにびっくりして悲鳴をあげてるのがかわいい。

 

亡くなった家族たちに連れられて死者の国に行くことになったミゲル。この死者の国もカラフルで綺麗だった。

「メキシコ 街」で検索すると出てくるグアナフォトという街の夜景が、色合いとしてそっくり。これを何層にも積み上げた感じで、全景はごちゃごちゃしつつ街並みは整然としていて素敵。

 

入出国ゲートや税関があるのが夢があるよね。現世から持ち帰ったお供物なんかは税関でチェック、なんとまだ生きてる子孫まで問題なく通れる(笑)危険物じゃなければいいのかしら…。

 

きちんと整備されていて、なんなら生前より楽しそうな死者の国ですが、実はシビアな世界で。

現世で写真が飾られていないと、死者の国から出られない。何より恐ろしいのは、生前の自分を覚えていてくれる人がいなくなったら、死者の世界からも消えてしまうこと。消えてしまったあとは、天国に行くのか生まれ変わるのか、それとも無になるのか、何もわからない。

 

たくさんの人に覚えられてるほどいい暮らしができるようで、写真を飾ってもらえない、いつ忘れられてもおかしくない死者たちは、スラムのようなところで擬似家族をつくって暮らしている。

ちゃらんぽらんで自己中かと思われたヘクター、名前がわからないけど気難しそうな音楽好きのおじさん、身寄りがない人々がお互いを思い遣って生きている(死んでいる?)のが切ない。ヘクターまじいいやつ。

 

私は眠れない夜に「私のお葬式にはいったい誰が参列してくれるんだろうか」と枕を濡らしたりしているような人間なので、フィクションとはいえ他人事とは思えず…。付き合いも悪いので、スラムでもぼっちになって、好きな歌を歌ってくれる人もなくひとりで第二の死を迎えることになるのではとある意味泣きそうだった。

 

この後ウン・ポコ・ロコでひと盛り上がり、なんか小学生が喜びそうな語感だなという浅い感想を抱く。この先時系列無視して感想を並べます。ストーリーに沿って書くの疲れた。

 

ひいひいおばあちゃん(名前忘れた)が音楽を憎んでいないと歌い出すシーンは哀しいものがあった。愛する人に裏切られて、シングルマザーとして娘を守るために、いろいろ捨てないといけなかったんだなと。時代背景は詳しくわからないけど大変だったのは明らかで、ヘクターへの憎しみも倍増、音楽禁止も強固なものになっていったんだろう。

 

現世に戻ったミゲルがギターを手にしたとき、食ってかかるおばあちゃんをミゲルの父は止めた。ほかの家族も阻止しようとしなかった。

おばあちゃんも、歌を口ずさみヘクターのことを話すココの姿を見て笑って涙を流す。すっかり呆けてぼーっとしてるだけだったお母さんがにこにこ話し出したらそりゃ泣く。

ココは音楽も父も好きなままで、でも母のために音楽禁止を守っていたんだろう。ココの娘であるおばあちゃんが頑なに音楽を拒むのも、ココを傷つけないように、家族がバラバラにならないようにというひいひいおばあちゃんの願いを知っていたから。そんなおばあちゃんのためにほかの家族も家訓を守ってる。

 

反発していたミゲルも「音楽より家族が大事だ」と、甘んじて音楽禁止を受けようとするまでになった。家訓がなくなっても、あの一家は変わらずにお互いを想いながら生きていけるんだろうな。

 

アレブリヘになったダンテかわいい。空飛ぶトラみたいなの(名前忘れた)の生前が猫ちゃんなのもかわいい。

ピクサーとかディズニーにでてくる動物ほんとにかわいい。好き。

 

邦題にもなってる主題歌(?)リメンバー・ミー。劇中で3回流れるんだけど、シーンによって趣がまるっと変わるのがすごい。

1回目はデラクルスが朗々と歌い上げる。大スターの俺を見ろ!忘れるんじゃないぞ!と自信たっぷりにアピールする。

2回目はヘクターの回想。「忘れないで、いつもお前を想っているよ」と幼いココに歌って聞かせる。

3回目はミゲルがココに歌う。話しかけても反応すらしなくなったココに、ヘクターを思い出させて伝言を伝えるために。

3回目は泣かない人いるのかというくらいの泣きどころで、ピクサーの「おら泣け!泣けよ!」という暴力的なまでの圧を感じるのだけど、それでも泣いちゃうのがすごい。その圧が不快じゃないのもすごい。

泣かせようとするあざとさに涙が引っ込むタチなんだけど、それを一蹴するピクサーまじやばい。

 

泣きどころといえば、一年後の死者の日に赤ちゃんに先祖のことを教えてあげるミゲル、ヘクターとイメルダ(ここにきて名前を思い出した)に声をかけるココ、マリーゴールドの橋の上でほかの家族も待っててみんなで手を繋ぐところもとても良かった。家族っていいなー。

 

劇中で描写されるココは終盤以外、時折「パパ…」と呟くだけの呆けたおばあちゃんか、回想中のこどものころの姿だけ。どちらも中身は幼い女の子で見ていていじらしい気持ちになる。だから、ヘクターに会いたいというココの想いも、ココに会いたいというヘクターの想いもより一層胸にくる。

ものすごく会いたい人に会えない経験はしたことないのに、完全にそんな気分になってしまった。

 

展開は王道というか、デラクルスが悪いやつなのもヘクターが本当のひいひいおじいちゃんなのも音楽禁止が解かれるのも、「そうでしょうね」という感じなんだけど。なぜこんなに感情が揺さぶられるのか。これがピクサーパワーか。

映像はもちろん画面の端までめちゃめちゃ綺麗だし、音楽が肝なので大音量で聞くべき。ぜひ劇場で見てほしいなと思いました(小並感)。

 

テーマは今生きている人も先祖もひっくるめた家族愛。

家族との結びつきが不完全な私でも泣いたので、家族仲良しな人は号泣必至なんじゃなかろうか。大人ほど心を動かされると思う。

エンドロール後にまたじわっと泣かせるのがずるいよピクサー

 

映画を観て目が潤むことはままあれど、涙が出るのはほんとにひさしぶりで、妙にすっきりした気持ちで帰途についた。

バスに乗ってから、自転車で来たことを思い出した。泣いた。